北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

これが天職というものなのか?

雨が一定のリズムを刻んでいる。今日は一日中雨だった。

 

いつか観た演劇、怒りの傾向、先日、借りた著書、本日の会議の議題(会議は中止)、ある事象が何かを伝えてくれているようで、一つ一つの点が線で繋がるような感覚になった。

 

これが私がやるべきことなのか・・・。

 

もしかしたら、これが天職というものなのか・・・。

 

そうは思ったけど、一時的に、熱にうなされているだけかもしれない。

 

今日の仕事は、歩くことが多く、傘はさしていたものの、靴が濡れて、靴下も濡れて、いやあな気持ちになった。

 

甲子園は、晴れていたようで、本日も予定通り試合を消化していった。気になっていた第4試合、敦賀気比対富島は、敦賀気比が5-1と勝利した。自宅に帰ってきた頃にはすでに試合も終わっていた。

 

自宅に着くと、花沢健吾『アンダーニンジャ』2巻が届いていて、早速読んだ。個人的に、東京生まれニンニン育ちのニンジャが好きだった。今度は、いつ登場するのだろうか。

 

花沢健吾『アンダーニンジャ』2巻を読み終わったあとは、保坂和志『小説の自由』の気分だったので、読んだ。

登場人物たちがそれぞれの個性をじゅうぶんに発揮することであり、その情景にある風景や物などの要素が小説の流れを事前の青写真をこえて引っぱっていくことだ。小説がうまくいかないのは、登場人物たちが勝手なことをやったり言ったりするからではなく、お行儀よく作者の青写真の範囲内で振舞ってしまうからだ。

 

作者に必要なことは登場人物たちが勝手に振る舞える場を与えることなのだ。それは大変なことだからしょっちゅう失敗する。しかし失敗したら書き直せばいい。小説を書くことは工場労働と違うのだから、時間も労力もいくら無駄にしても誰からも文句は言われない。

 

保坂和志『小説の自由』p181

 

そうなのよね。一発で綺麗に決めようと思うのがそもそもの間違いで、絵描きも、何度となく、デッサンを繰り返したり、描いては消しを繰り返しているわけで、よって、小説家も、絵描きのように、作品になるかならないかはわからないけど、まずは書くということが大切なのではないだろうか、と、思っている。

 

小説の自由

小説の自由

 

 

明日も雨なのだろうか。