北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

特攻隊について、命令した側、命令を受けた側、命令を見ていた側で、語る物語が変わる

仕事が休みだったにもかかわらず、公用車の鍵を返却しに職場に向かった。職場の車の鍵の返却し忘れはよくあることで、といっても、引っ越ししてからは初めてのことで、今、住んでいるアパートから30分ほど、車を運転して、職場に鍵を返却しに行った。

 

車を運転しながら、先日ブログで書いた会社の特色というか、魅力的にうつるのは、採算ど返しや無料の事業に現れるのではないだろうか?ということが頭の中に浮かんできて、それは会社だけではなく、人もそうなのではないだろうか?と思った。

 

人でいう採算ど返しや無料の部分というのは、仕事をしていること以外ということになるのだろうかと頭に浮かび、若草プロジェクトやグラマン銀行に寄付をするというお金の使い方というか、行動は、魅力的な人間になるために、やるべきなのではないか?ちょうどボーナスの時期でもあるわけだしと思った。

 

ただ、寄付しているのを公言したら、それはかっこいい男から、かっこ悪い男に一気に転落していまう。というか、寄付することがかっこいいと思っていること自体、かっこ悪いのではないかとも思ったけれど、そもそも寄付しようと思ったのは、何もかっこいい男と人から言ってもらいたいわけでもなく、いや、思ってもらいたい気持ちもあるけれど、若草プロジェクトやグラマン銀行のやっていることや、考え方に共感するし、自分は、寄付という形でしか参加できないけれど、何か自分も力になりたいという気持ちからで、まあ、誰にも言わないでおこうと思ったけれど、こうしてブログに書いている時点で、公言していることになる。

 

というようなことを考えて、自宅に着き、8月だし、戦争に関する本を読もうと、本棚から一冊の本を手に取った。

 

鴻上尚史『不死身の特攻兵』。

 

特攻隊として、9回の出撃命令を受けたにもかかわらず、生還を果たした特攻兵の物語なんだけど、まず、驚いたのは、その特攻兵の出身地が私が住んだことのある町の出身だったから。

 

もう、それだけで、ぐっと、身近に感じて、誰かに言いたくなった。

 

特攻は、・・・「命令した側」と「命令を受けた側」と、もうひとつ「命令を見ていた側」があったということです。

 

一般論を語れば、どんな社会的な運動も「当事者」より「傍観者」の方が饒舌になります。

 

・・・真実は当事者の言葉の中になるのです。重い口を開いて語る当事者の思いが、歴史の闇に光を当てるのです。

 

鴻上尚史『不死身の特攻兵』p288

 

つまり、特攻隊について書かれた本は、この三者によって、まったく違うものになる。そんな視点で、別の戦争関連の本を読んでみたい、と思った。ふと、真実を語るはずの、当事者の言葉は、真実を語ってくれるのか?何か忖度する場合はないのか?そんなことも思った。

 

本日も北海道の夏は暑く、部屋の窓という窓を開けても暑くて、タンクトップを脱ぎ、上半身裸で、パンツだけ履いて、ひたすら読書と昼寝をして過ごした。