北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

あの頃、住んでいたアパートの一室で、その後、どんな人が、どんな物語を紡いだのだろう

滝口悠生『高架線』を読み終わった。春の陽気のような読後感だった。こんな読後感は初めてのことだった。ドラマティックでもなく、いや、登場人物の一人、峠茶太郎の人生はドラマティックだったかもしれないが、かたばみ荘の一室に住んできた人々の何気ない日常と、その住人と交流があった人々の物語。

 

高架線

高架線

 

 

読み終わった後、大学時代、初めて一人暮らしをした部屋が105号室だったな、と思い出したり、大学を卒業して、就職も決まらず、1ヶ月、友達の家に居候したのちに、社会人を初めたアパートは、104号室だったな、と思い出し、あの大学時代に、105号室に遊びに来ていた友達は、今は、2人とも東京に住んでいて、私は北海道で、あの頃の私たちは、今のこの生活をまったく予想もできなかったなとか当たり前のようなことを考えながら、最近、思うのは、こんな淡々とした毎日がしあわせということなのだろうな、と思っていたら、猫がかまってって、鳴いて、キーボードを打つ手を止めて、撫でた。そう。こんな些細なことにしあわせがあったりする。

 

あの頃、私が住んでいたアパートには、その後、どんな人が、どんな物語を紡いでいったのだろう。

 

そういえば、この前、テレビで見た、樹木希林が言った言葉が、木霊のように、私の心の中に響いた。

 

「内田は、人の悪口を一回も言ったことがありません。男は、そうじゃなくっちゃ」

 

私も、人の悪口を言わないようにしよう、と思った。男だから、女だからというのは、あれだけど、人の悪口を言わないというのは、かっこいいし。そういえば、松井秀喜も、人の悪口を言ったことがないって言ってたっけ。

 

今の自分ができているのも、他人から訊いた言葉だったり、出会った人だったり、自分の心の琴線に触れたもの集まりでできているのかもしれなないな、と思った。