北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

「当たり前」のことが「当たり前」にできる世の中になれば良いなと願いながら

「あの演劇すごいです」と職場の同僚に聞いたのが11月。

 

職場の同僚がすごいと言っていたのが、新篠津高養護学校演劇部「よだかの夢」。全道高等学校演劇発表大会で優秀賞を受賞している。

 

卒業公演が岩見沢市民会館で行われると知り、この日を楽しみにしていた。会場には、40分前というのに並んでいる人たちもいて、こんなに注目されているのかという人々が会場を埋め尽くしていった。周りの人の声を聞くと、一度、観て、再度、観に来た人もいるようだった。

 

卒業公演のチラシには、こう書かれている。

 

『自分のことを知るほど、夢を見られなくなるなんて・・・』

「私は結婚なんかしない。私みたいな可哀想なこどもが生まれたらやだもん」2年前に耳にした部員の言葉が、棘のように顧問の心を突き刺した。多くの人が抱く夢や、味わう幸せに対する絶望。「当たり前」を「当たり前」に受け取ることができない哀しみがあることを突きつけられた出来事であった。「地元の友人には特別支援学校に入学していることを秘密にしている」という生徒もいる現実。まだ10代の生徒が経験せざるを得なかった哀しみや諦めを知り、部活動顧問として多くの人にどのように伝えていくか考え続けた2年間。部員とのミーティングを重ね、この夏やっと一つの作品として昇華した。

 

受験に失敗をし、行きたくなかった高校に通うことになった男の子と、知的障害があることに劣等感を感じている女の子が、偶然出会い、交流を繰り返す物語で、脚本は、部活動顧問が書き下ろしたもの。

 

久々に、ガツンと来た作品との出会いで、障害があるのに、頑張っているから感動したとか、そんな単純なものではなく、障害があるとかないとか関係なく、観終わったあとは、すごいな、と心の中で繰り返し呆然としながら、ステージに向かって拍手をしていた。

 

会場に入る前にもらったアンケート用紙にも、「すごかった。時間をかけて頭の中を整理します」というような内容を書いて帰って来た。

 

帰りの車の中で、熱した頭は徐々にクールダウンすると共に、いろんな言葉が頭の中に浮かんだ。

 

そんな気持ちを抱いている10代がいたことを想像できなかった。

 

想像せよ。私は、若い職員にそう呟く。想像しても、気づいていない気持ちに遭遇すると、まだまだだと思う。幸せ、排除、不公平、しょっちゅうではないけれど、いろんなことを考える。この仕事は哲学的かもしれないなとか考えながらハンドルを握る。

 

福祉の仕事をやっていて良かった。

 

「当たり前」のことを「当たり前」にできる世の中になれば良いなって思いながら、この仕事をしていたのかもしれない、と、ふと、まるで、天からの呟きのように思うに至った。大げさに言えば、自分の核は、これだったのかと気づいたような感覚。

 

実際に、こうして、「当たり前」が「当たり前」になっていない現実を再認識し、その現実に向き合う仕事って、やりがいがあるな、と。まだまだ、やるべきことはあるのではないか、と。

 

自宅に帰ってきてから、インターネットで新篠津高養護学校演劇部を調べると、顧問の先生は、私と同い年だった。あの脚本はすばらしかった。

 

観た人に、価値観を押しつけるのではなく、気づきを与え、問いを投げかける。最後に、二人は短冊になんて書いたのだろうと、想像させる、劇の合間というか、間合いというかが、少しだけ、観ている者に考える時間を与える。

 

職場の同僚と同じく、私は、会う人、会う人に、「あの演劇は観たほうが良いです」と熱を入れて話している。