北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

恩返し

猛吹雪の中、運転していた車が雪溜まりに突っ込んで、身動きがとれないところを助けてくれた方にお礼をしに行った。

 

突然の訪問者にピンとこないみたいだったけど、「年末、吹き溜まりでスリップしたところを助けられたものです」と名乗ると、わかったみたいらしく、どうぞ、どうぞ、おあがりくださいという話になり、丁重にご挨拶をして帰ってきた。

 

神社に行って厄払い祈願をし、自宅に帰ってきて、読みかけの保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』を読み、昼寝をして、また読んで、読み終わる。小説を書くのって難しいなと思った。

 

会話の中身をどれだけ自然に書いても、それだけではリアルな会話にならないということだ。実際の会話は、身振り手振りなど直接の中身から離れた部分が大きいわけで、その中身と離れた部分をいかに小説の会話のなかに取り込むかがカギなのだ。『小説を書きあぐねている人の小説入門』保坂和志p97

 

確かに、普段のコミュニケーションは、会話以外のところも重要だから、小説にも適用されるよな、そのことが抜けていたなあ、と思った。

 

小説というのは自我が書くものではなく(それが出発点だったとしても)、小説がそこまでの部分で創り出した流れ(運動)を変に自分のほうに引き寄せようとするのではなく、その流れに従って積み上げていくものなのだ。だから、予定が変更になったり、事前になかったイメージが出てきたら、それは小説としての運動が始まったということで、むしろ喜ぶべきなのだ。『小説を書きあぐねている人の小説入門』保坂和志p114

 

小説家が小説を書くことによって成長することができるのは、難しいところで簡単に済まさずにそこに踏みとどまるからだ。・・・力は振り絞らないとつかないし、振り絞れるようになるためには、そのつどそのつど書くしかない。その最たる対象が風景なのだ。『小説を書きあぐねている人の小説入門』保坂和志p128-129

 

そのときどきに出会ったものをもとにしていつも小説のことまで考えるのは私の特徴でもある。こういう唐突な「そのときどきの感じ」なども、最初から文字で書いていたら出てこなかっただろうと思う。私はこの本全体を通して、面白いと感じるもの・その時に興味が湧いたもの・自分が長くつき合ってきたもの・・・それらすべてが”考える対象”であり、それらを通り一遍の感想で終わらせないで、もっとよく考えることが小説を考えることにつながるのだということを強調することができたと思う。本文のなかでも言ったことだが、小説は既成の小説だけをもとにして考えていても発展のない表現形式なのだ。『小説を書きあぐねている人の小説入門』保坂和志p214

 

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)