北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

ついてない

東京から出張で札幌に来ていた友人との待ち合わせ時間にはまだ早かったので、狸小路にほど近いドトールで、アイスコーヒーとかぼちゃのタルトを注文し、2階に上がった。

 

私の隣の隣には、20代から30代の女性2組がいて、会話が耳に入るというか、そこで会話している人はその人たちくらいだったので、会話が筒抜けだった。ひとりの人が、「馬鹿な男は嫌い」と言っていた。そんな馬鹿な人って、いるだろうかとか考えながら、かぼちゃのタルトを食べる。「会話が噛み合わないのよ。こちらが言おうとしていることを勝手に解釈しちゃうの」。それは、馬鹿ではなくて、その人と相性が悪いのではないだろうか。私もそんな人にたまあに出会うけど、そんな人とは相性が悪いというカテゴリーに入れている。

 

会話は、宝くじで当たったら、どうするか話になり、アパートを経営すると女の人は言っていて、そういえば、以前、1億円あたった人がいて、その人は、18か9歳の男で、例えば、突然、友達に電話して、あと何分で、到着したら、VUITTONのバッグを買ってあげるとか言うとかで、金をもらっていたというその友達は、金がなくなったら、友達をやめるとのことだった。そんな人がいるんだとか思いながら、それこそ馬鹿な男だと思った。私だったら、バッグをあげるから来いと言われた時点で友達はやめるな、と思った。

 

ドトールを出て、札幌駅の安田侃の作品の前で待ち合わせをして、オリンピアにその友達を連れて行き、喫茶店を選んだのは、15時という食事には早い時間のためだったが、友達はお腹が空いたということで、カレーを食べ、私は、オリンピアでもアイスコーヒーを注文し、その後、居酒屋に向かった。友達は、居酒屋に行くなら、カレーを食べなかったのに、と言っていた。言うのを忘れていた。

 

その友達とは大学時代に出会った友達なのだが、思い出話に花を咲かせ、咲かせた時に、どこか微妙に違う話になっている。例えば、その友達は、ついていないが口ぐせで、草野球チームで自分の名前を書くところに、少しでもついていることが起こるようにと願いを込めて、『LUCKY』と入れていた男で、背番号は『5』だった。その時は、俺も『5』が良かったのにと思いながら、巨人の川相の背番号である『0』を選んだ。今、振り返れば、ラッキーなんだから、背番号は『7』にすべきだったのに、と思うのだが、その話は、これから書くこととなんら関係がない。

 

で、そんなついていないが口癖で、背番号『5』の友達は、大学時代のある日、信号で待っていたら、突然、怖い顔をした人に殴られ、殴られたあとで、大学に来て、そのエピソードを私や、その他の友達に語るのだが、あまりにも現実味がなく、友達に信じてもらえない、私は、本当のことなんだろうな、と信じていたのは覚えているんだけど、会った時に、その話をしたら、「いや、信号待ちではなく、コンビニで」という。コンビニで絡まれて、裏に来いと言われたらしい。その友達は、ジャニーズ顏で、先輩からは、「ジャニー」と呼ばれていたような男で、要は、相手に不快な印象を与えるような男でもないんだけど、その友達が言うには、コンビニを出たところで絡まれたということらしい。

 

また、私の記憶では、何万円も、何万円も、つぎこんでいたパチンコ、エヴァンゲリオンの角の台を打っていた知らない人が、隣の台に移動し、移動した台に、そのついていないが口癖の友達が、座って、すぐに当たって、当たったら、その何万円も、何万円も、つぎこんでいた知らない人が、白目をむいて、友達のところに倒れてきて、救急車で運ばれた、という話だと思ったのだが、今、会って聞くには、寒い日で、外で待っていたのが、辛かったのか、数千円を打って、隣の台に移動し、その台に、友達が座ってすぐに倒れたと言っていた。

 

そんな記憶の微妙な食い違いが、ちらほら見受けられ、どちらが、正しいんだろう、と不思議だなあ、とか思ったんだけど、今日、車を運転しながら、当時、ついていないが口癖の友達が、話を盛り、よりおもしろい話にしたに違いないということになって一件落着した。

 

この友達のついていない話は、枚挙にいとまがなく、今日のところはこのへんにしておくんだけど、ひとつ、言えることは、そのついていない話は、時に世界を救う。