北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

『ーいま、つくる。』展

伊坂幸太郎の『砂漠』を読みながら、西嶋って、ぽっちゃりで、眼鏡をかけているんだな、とかれこれ数十年ぶりに読んで気づいた。本の最初の方で、その容姿が出ていたので、当時、読んだ時は、印象が薄れ、忘れていたのかもしれない。

 

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)

 

 

「あのパンクロッカーの二人がいなくなって、もう、世の中はどうなっちゃうんですか。俺たちで立ち上がるしかないでしょう?学生の俺たちが。パンクロックの精神はね、馬鹿な学生が引き継ぐしかないでしょう」伊坂幸太郎『砂漠』P14

 

いざという時にはやる、なんて豪語している人は、いざという時が来てもやらない

伊坂幸太郎『砂漠』P51

 

自分の皮膚で触れた部分が世界なんですよ。伊坂幸太郎『砂漠』P69

 

あの印象深い言葉は、何ページだったか、と前回、砂漠の記事を書いていた時に思ったから、今度から、印象深い言葉は、ページ数も記入しようと思った。

 

ちょうど区切りの良いところだし、 と思って煙草を吸いに外に出たら、雪が降っていて、そういえば、天気予報で、3時から雪って言っていたっけと、今、パソコンの時計を確認すると、2:16だった。煙草を吸いながら、また、自分勝手な奴の言動で苛々しちゃったなあ、と冷静な頭で振り返り、私も昔は自分勝手だったかもしれないと反省した。

 

そういえば、今日、久しぶりに録画しておいた『プロフェッショナル仕事の流儀』を観た。坂元裕二の回で、坂元裕二は、『往復書簡 初恋と不倫』がおもしろいかったから食い入るように観た。脚本を書いているところを撮影しながら、これまでの仕事が紹介されたり、どんなことで葛藤し、悩み、現在に辿り着いたかが語られていた。『物語は日常の細部に宿る』ということを言っていて、例えば、好きです、ということも言葉だけでは伝わらないけど、その周辺を語ることが大事だっていうようなことを言っていて、なるほどな、と思った。最近、このブログにも、次の日になったら忘れてしまうようなちょっとした風景、日常を書くことがしたいな、と思っていたところだった。

 

往復書簡 初恋と不倫

往復書簡 初恋と不倫

 

 

 3時近くまで『砂漠』を読んで、寝て起きて、外に出たら、まだ雪は降っていた。

 

楽しみにしていた企画展に足を運ぶ。美術新彩堂『ーいま、つくる。』展。葛西由香さんの作品を観たくて。

 

今年の3月にクラークギャラリー+SHIFTで開催された葛西由香個展『日々とあそび』を見逃して、それから、葛西由香さんの作品をさらに観たくなって、今回の企画展を楽しみにしていた。今日、家に帰ってきて、葛西さんの記事をネットで読んでいたら、私は、葛西さんの絵をいくつか観ていた。観たいと思っていた『明治物語』も観ていた。明治物語というのは、きのこたけのこ戦争(明治製菓きのこの山」対「たけのこの里」)を、 鎌倉時代の「平治物語絵詞」見立てた襖絵。私が観に行った超日本展という企画展に展示されていた。その時は、じっくり観ていたのか、流して観てしまったのか、明治物語の印象がない。どちらかというと、「蝦夷富士茶漬之図」の方が印象に残っている。携帯の中の写真にも残っていた。葛西さんは、これからも精力的に活動をしていくと思うので、これからの活躍も楽しみだ。

 

『ーいま、つくる。』展を観ていたら、「葛西さんが好きなんですね」と女性に声をかけられ、「はい」と応えながら、その人の名札を見たら、この企画展に出展している作家の一人、阿部真由子さんだった。阿部さんは、「私も葛西さんが好きです」と笑顔で言った。「葛西さんにお伝えするので、お名前を書いてください」と言われ、「私の名前を見ても誰かわかりませんけどね」と応えながら記帳した。その数秒のやりとりで、なんか素敵な人だな、と思って、外に出て、どの絵を描いた人なんだろう、と貼られているフライヤーを見た。

 

阿部さんとの数秒のやりとりで、この前、何気なく観ていた「消えた天才」というテレビ番組のことを思い出した。その番組で、「立ち居振る舞いがかっこいい」というような内容のことを言っていて、立ち居振る舞いだけで、かっこいいって、なんかそんな人になりたいなあと思ったんだけど、阿部さんは、どことなくそんな雰囲気があった。そういえば、そのテレビ番組では、立ち居振る舞いがかっこいい、という一つの例として、堂々としていた、というようなことも言っていたけど、堂々としているのは、今読んでいる『砂漠』の西嶋も同じだな、と思った。西嶋の場合は、ぽっちゃりタイプで、眼鏡をかけていて、想像するに、外見は、そんなかっこいいタイプではないんだけど、堂々としていて、立ち居振る舞いだけで、かっこいいタイプなんだろうな、と思った。いや、西嶋のかっこよさは、立ち居振る舞いではなく、空気を読まず、自論を展開するところだった。