北の凡

いろいろあるけれど、それでいい

視点をずらす思考術

 

森さんの本は、何冊か読んだけど、かなりの頻度で、何かしらの気づきを与えてくれる。だから、ブックオフで、森さんの本を見つけると、とりあえず買う。今回の本もそんな感じで買った。

 

プロローグに、こんなことが書いてあった。

事件や物事や現象は決して単面ではない。多層的で多面的だ。これらの多面な要素のうち、マスメディアは最も刺激的で最もわかりやすい局面を呈示する。視聴率や部数という市場原理に拘束された経済の原則だ。これを額面どおり受け取るだけでは、この世界は矮小化されるばかりだ。善悪や貧富や正誤などの二項対立に覆われるばかりだ。だからずらす。(『視点をずらす思考術』森達也

 

視点をずらす思考術 (講談社現代新書)

視点をずらす思考術 (講談社現代新書)

 

 

こうして本を読みながら、憲法改正について考えることがある。特に9条。戦争の放棄について。この本を読むまでは、9条は変えた方が良いのかもしれないと思っていた。だけど、ちょっと待てよ、と今は思っている。なかなか結論が出ない。そう思うきっかけになった文章を以下に抜粋。

 

法律は国民の行動を規律し、憲法は国家を規律する。法律の主体は国家や行政だけど、憲法の主体は主権者である国民一人ひとりだ。憲法が法律の上位に位置する理由はここにある。法律は国際情勢や経済・社会状況などに応じて随時改正されるべきものであるけれど、憲法は理想(恒久的な価値)を示すものである。現実とずれることは当たり前なのだ。たとえば法の下の平等憲法14条で規定されているけれど、実際にはこれが守られていない状況はあまりにも多い。でもだからといって憲法を変えようとは誰も思わない。だって理念なのだ。(『視点をずらす思考術』森達也

 

わかりやすい。こんな考え方があることも知らなかった。

 

専守防衛に必要な軍事力は必要なのではないか、そのために憲法9条の改正は必要なのではないかと思っていだけど、次の文章を読みながら、専守防衛と思っていても、正当防衛という名の下に、先に攻撃をしちゃうのかなとも思って、これまた、どうあるべきかがわからなくなる。

 

戦争はどうやったらなくなるのか。ここ数年、僕はずっとこのことを考えている。なかなかこれだと思うような回答は浮かばない。でも、戦争がなぜ起こるのかとの命題についてなら、何となくだけど思うところはある。「やられる前にやれ」との意識の発動。これが戦争や虐殺の根底にある。(『視点をずらす思考術』森達也

 

わからないといえば、凶悪犯罪を犯した人の思考。時々、想像しても、どうしてそんなことをしたのかわからない事件もある。想像してもわからないと、自分とは別次元の思考なんだろうな、と考えるのをやめてきたけど、以下の文章を読んで、こういう理由なら、わからんでもないな、と思った。

 

凶暴さと殺戮は等号関係ではない。むしろ「優しさ」や「善意」が自衛の意識と融合しながら、歯止めの効かない殺戮への衝動に発展する場合が多い。(『視点をずらす思考術』森達也

 

物事を判断するのって、イメージが左右するところが多いんじゃないかと思っているんだけど、そのイメージをかいくぐり、視点をずらして思考することって、大事にしたいなあ、と本を閉じた。

 

書きながら、気づいたら、0時20分になっていた。

 

それでは、また明日。