社会人になってすぐの頃、私を支えてくれたのは遠藤周作の本だった。
思い返せば、友達に遠藤周作の本をプレゼントしてもらったのがきっかけだった気もする。
もう20年も前のことだから、記憶が定かではないが。
20代前半、遠藤周作のエッセイを貪るように読んだ。
小説を読んだのは、深い河くらい。
遠藤周作の「沈黙」が、外国人の監督の手によって映画化されるのを知って、レンタルされるのは、まだか、まだか、と待っていた。
ずずずーんと、重い。
映画を観ながら、この物語には救いがあるのか?救いがあるのか?と、何度となく、心の中で呟くほど、キリシタンの弾圧はひどく、酷い。踏み絵が、これほどのものとは、中学生の私は、想像力が足りていなかった。信教の自由が必要だとも思った。
映画を観終わって、沈黙を映画化したマーティン・スコセッシ監督について調べてびっくり。
タクシードライバーの監督だった。
マーティン・スコセッシ監督は、沈黙を読んでから、20数年、ずっと映画にしようと思っていたんだって。
それにしても、やらなければならないことがあると、映画が観たくなる。
困った。