どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

運命論の方が慰めになることもある

自由意志というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めになることもある。


本を閉じた後も、余韻が残った数行。

マチネの終わりに

マチネの終わりに

 

 

未来は自分の手で切り開く、と思いながら生きてきた20代。
それは30代の今でも思っているけれど、
それに加え、流れに身を任せる必要もあるな、とも思っている。
それを私は縁という言葉を使うのが一番、しっくりくる。
そう考えるようになってから、随分、生きやすくなった部分もあるのではないかと思っている。