どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

人生は送りバント

飲み屋に行けば、
一度はトイレに行きたくなるもので、
俺は、その例にもれず、トイレに行った。

トイレの前に立ち、
ふと小便をするのも忘れるほど、
心奪われた文字。


”人生は送りバント


そんな張り紙がトイレの前、
真ん前に貼られていた。


なにかと、野球に例える俺は、
その文字を見て、嬉しくなちゃって、
普段は、携帯電話で写メールなんて撮らないのに、
無性に撮りたくなって、
ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。


が、・・・ない。
携帯電話がない。


なんで、ないのよぉぉぉぉ。
俺は、自分自身を責めた。

普段、携帯電話を、どこに置いたか、わからなくなって、
自分の電話に、自分で電話する時はあれど、
持って歩かないことはない。


「こんな時に限って、こんな時に限って・・・」と悔しがるが、
何にせよ、忘れてきたものは仕方がない。
自分自身を慰め、「それにしても、どういう意味だ?」と、
必死に頭をフル回転させた。


送りバントってのは、
犠牲バント”とも呼ぶ。
つまりは、犠牲になって、
人の為に生きろということなのか?

何か、それも嫌だな。

はたまた、送りバントは、
次へと繋げるための作戦。
つまりは、こつこつ、明日へ繋げろってことか?

ふ〜む。
どういう意味かわからん。

会計を済ませる時、
店員に「人生は送りバントって、どういう意味ですか?」って、
聞きたくて仕方がなかったけれど、
すぐに答えを求める小学生じゃあるまいし、
自分の頭で考えよって、
店を後にした。

言葉は、その時の、その人の状況で、
受け止め方が変わるくらいで良い。

書いた人、作戦成功だな。
少なくても、俺は、考えまくっている。



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