どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

雪降る前の匂い

ネットを漂っていると、「外が雪降る前の匂いがする」と言う言葉に出会った。この人も、季節の匂いを感じることができるんだって、同じく季節の匂いを感じることができる友達の顔を思い出した。確かに、ここ何日かで雪が降るような寒さになってきたけど、私には、雪降る前の匂いがわからない。そろそろタイヤを交換しないと。

 

さらにネットをゆらゆらと漂っていると、紀伊国屋書店札幌本店で、「奇跡の本屋in紀伊国屋書店札幌本店」フェアが開催されているのを知った。北海道にあったくすみ書房という本屋の元社員さんが企画したフェア。このフェアは、くすみ書房でおすすめしていた本や、所縁の人々の紹介する本が一同に介するとのこと。今度の休みの日に行ってみようと思った。 本が積み重なっていく。

奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの

奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの

 

朝、起きて、ネットで昨日の日本シリーズの結果を見た。見てびっくりした。私が見るのをやめたのは、デスパイネ本塁打の後。つまりは、6回裏で、ソフトバンクが、8-3とリードしたところで、勝負あったな、と思ったから。それが、ネットを見ると、9-8。寝室にもテレビを設置して、見れば良かったと思った。思ったところで、配線を購入しないとならないし、この時期しか観ないしな、とも思った。

 

今日も仕事から帰ってきて、まずはテレビをつけ、日本シリーズをつけている。観ているというか、つけている。6回表3-1と、ソフトバンクがリードしている。昨日、仮に、広島が勝つようなことがあったら、一気に広島が日本シリーズを制覇しただろう。それが、今日の試合の結果につながっている。そんな感じがする。今は、私が広島で注目している松山竜平。投手はモイネロ。手を止めて見ていたら、投手ゴロで終わった。

 

洗濯が終わったから、洗濯物を干して、風呂にでも入ろう。

うがい

朝、昨日の仕事の問題を思い出して、いやあな気持ちのまま目覚めた。こう言う時は、いやあな仕事から行うのが良いという鉄則のもと、報告相談を行う。新人職員に言ったように、大量失点にならないように。偏頭痛がして、昼食のあと薬を飲んだ。昔は、心は悲鳴を上げているのに、どうして体は丈夫なのだろうか、と思っていたけど、今は、心の状態がすぐに体に現れる。こうして、問題は解決し、ほっとして、自宅に帰ってきた。

 

自宅に帰ってきて、周りで体調を崩している人が多いことを思い出し、イソジンでうがいをすることにした。ここで体調を崩すわけにはいかない。 

 

テレビをつけて日本シリーズ第3戦を観ている。4回表0-0。広島の5番を打つ松山竜平は、打ちそうな、何かやってくれそうな雰囲気を出す。シーズンの結果はどうだったのだろうかと検索してみると、打率.302、本塁打12、打点74。まずまず。WBCに召集してもおもしろそう。と、書いているところで、ソフトバンクの中村がタイムリーで先制した。デッドボールの影響で前の試合はベンチから外れていた内川が出場していて、びっくりした。と、書いていたら、今度は、今宮がタイムリーで、ソフトバンクが2点のリードした。いつもは21時には布団で読書をするのだけど、日本シリーズがおもしろくなってきた。『読書の日記』を読みながら、この試合の行方を見ようと思ったのが、6回裏。デスパイネがホームランを打ったところで、寝室に行くことにした。

 

『読書の日記』と並行して読むことにしたのは、荻原浩『二千七百の夏と冬』。縄文時代を舞台とした小説。縄文時代を舞台にした小説は初めてだなあ、と読み進めているけど、いまいち、本の世界に入り込めない。登場人物の名前が馴染み深くないからなのか。上下巻あるので、このまましばらく読もうと思う。

 

読書の集中力が切れたおかげというか、小説の続きを書こうと思い立ち、今日も小説を書いた。第2章の推敲。集中して書いた。第2章もまもなく終わりにさしかかっている。

 

 

他人の目が気になった時期のことを思い出した。

朝、起きて日本シリーズ第1戦の結果を確認したら、32年ぶりに初戦引き分けだと知った。そもそも日本シリーズで引き分けの試合を観た記憶がない。

 

仕事の最中、外に行くと、夫婦で犬の散歩をしているおじさん、おばさん2人に会った。このおじさん、おばさんは知り合いで、時々、このブログにも書く陶芸の工房といえばいいのか、いつも表現に困るが、そこのおじさん、おばさん。秋からは休業する。よって、1年の半分、会わないこともある。私は、「こんにちは」と挨拶をし、「お元気ですか?」と続けた。見た感じ、元気そうだけど、ここのところ会っていなかったから。職場、ここなんだね。2階は何?2階は事務所です。日曜日は誰もいませんけど、平日は、私もいるので、コーヒーでも飲みに来てくださいと言った。

 

仕事が終わって、自宅に帰ってきてからは、日本シリーズ第2戦をテレビでつけたまま、雨宮まみ『女子をこじらせて』を読んで、読み終わった。あとがきを読んでいる時に、そういえば、私も他人の目が気になる時期があったっけと思い出した。社会人1年目の時。悪口を聞いていて、私も陰で悪口を言われているのかもしれないな、と思った。こんなに他人の目が気になるんだあ、とその時、気づいた。今は、ほぼ気にならない。特に何をしたというわけでもないが、いつしか気にならなくなった。

 

日本シリーズは、5回広島の鈴木がタイムリーを放ち、5-0とリードした。腰が痛くなってきたので、シャワーを浴び、今は、いつものように布団の上で、ブログを更新して、『読書の日記』を読んで、寝ようと思っている。21時。

悪役がいないそのなかでそれでも悲劇が起きることが悲しかった。

月が綺麗だ。月を見上げながら、子どもの頃、天体望遠鏡で月を見ていたことを思い出して、また、天体望遠鏡で天体観測をしたいと思った。思ったけど、見るのは、せいぜい一度か二度なので、科学館とかで見ようと思った。思ったけど、寒くなってきたから行かないかもしれないし、どちらかというとその可能性の方が高い。

 

行こうと思って、行っていないところに明日、行こうと思っている。明日は、美容室に行き、昼食は、クロック。クロックのあとは、映画館に行って、「カメラを止めるな」を見よう。合間で、ブックオフに行き、佐藤泰志保坂和志の本を探そう。小説の続きも書こう。

 

読んでいる『読書の日記』は半分を過ぎた。昨日、読んだ箇所に、こんな記述があった。”悪役がいないそのなかでそれでも悲劇が起きることが悲しかった。”確かに、私の周りの人たちも悪役はいないな、と思った。いるのは私と合わない人がたまあにいるだけ。合わないと思っているその人も、正しいと思うことをやっていて、そのやり方や表現の仕方が、気に食わないだけ。で、悲劇が起こる。悲劇というほどでもない。

 

『読書の日記』と並行して読んでいるのは、雨宮まみの『女子をこじらせて』。雨宮まみが『読書の日記』で紹介されていて、そういえば、私の本棚にあったな、と手にとっった。雨宮まみは、自分の容姿に自信がないというようなことを書いていて、どんな容姿の人なんだろう、とインターネットで調べた。全然、コンプレックスを感じるような容姿じゃないのにな、と思った。40歳で亡くなっているということも初めて知った。1976年生まれというと、学年でいえば、私の一個上。

 

楽しみにしていたドラフト会議が終わった。sportsnaviで指名された選手達を眺めながら、やっぱりプロが選ぶ視点は、野球ファンが見ているよりも、深いな、と思った。根尾と小園が4球団、藤原が3球団の指名を受けた。根尾は中日に、藤原がロッテに、吉田が日ハムに指名された。吉田の交渉権を日ハムが獲得して嬉しかった。また、日ハムの試合を観る楽しみが増えた。柿木が5位というのもびっくりした。柿木も日ハム。将来、柿木と吉田の投げ合いを観るのが楽しみだと思っていたら、同じ球団で、びっくりした。お互い、切磋琢磨して、日ハムのエースに成長してくれたら嬉しい。

 

雨宮まみの『女子をこじらせて』の続きを読みながら、眠くなったら寝よう。

うちに帰りたい

パ・リーグクライマックスシリーズの結果をニュースで知った。西武のファンではないけれど、10年ぶりだし、広島対西武が見たかった。だけど、西武が負けた。残念。

 

最近の関心ごとは、25日に開催されるドラフト会議。金足農の吉田と、大阪桐蔭の根尾の行き先。巨人は、根尾の獲得に動くみたいだけど、吉田の方が良いのではないか。じゃあ、根尾は?今、ショートを必要としているチームはどこか?本棚にある選手名鑑を出して来てみたが、その選手名鑑が、今年のものではなく、昨年のものだったので、いまいち、どこのチームが良いかはわからず、そんなことを考えていたら、21時頃に寝ていた。

 

朝、起きて、ばあちゃんちに向かうために、ひさしぶりに高速道路を車で運転した。車の中でも根尾にとってのベストなチームを考えて、中島がいるけど、日ハムが良いな、と思った。日ハムに入ったら、直接、試合を見ることもできるし。直接、球場に足を運んで見たい選手。日ハムは、その年で一番という評価をしている選手を取りに行く方針だと何かで聞いた。たとえ、競合しても。その方針は巨人も取るべきだと思ってる。巨人は、スーパースターを育てるべきだ。松井のような。ここ何年かは、日ハムの試合ばかり見ているので、巨人熱が、完全に冷めているが、巨人が強くなければおもしろくない。

 

そんなことをつらつら考えながら運転していたら、10時にばあちゃんちについた。私の両親、親戚のおじさん、おばさんが会いに来てくれた。近況を訊いて、ばあちゃんがいる特別養護老人ホームに行った。ばあちゃんは、食堂のような広い場所のテレビの前で座っていた。開口一番、「うちに帰りたい」と言った。「うちにいる猫と一緒に暮らす」と。ばあちゃんちには猫はいない。私が小学生の時に、ばあちゃんちの物置に勝手に住み込んだ野良猫がいたのは覚えているけど、ばあちゃんちで猫を飼っていた記憶はない。「帰りたいよね」とばあちゃんに返した。親戚のおじさん、おばさんたちは、施設の職員と会話を交わし、私とばあちゃんがいるところに来た。ばあちゃんは、親戚のおじさん、おばさん、私の母に向かって、うちに何度も帰りたいと言った。ここには大勢の人がいるが、知らない人ばかりだと言った。とことこ一人で歩いて帰ると言った。ばあちゃんは、9月に96歳になった。私からみると、96歳なのに、元気だと思うけど、親戚のおじさん、おばさんたちは、ばあちゃんが「うちに帰りたい」と言うたびに困った顔をしていた。私は、「今度、ゆっくり来れた時に、おれがうちに連れてくよ」とばあちゃんに言った。ばあちゃんは、「おまえはいつ来るかわからない」と言った。そのとおりだと思った。

 

ばあちゃんに、「また来るよ」と言って、親戚のおじさん、おばさん、両親とラーメンを食べに行った。親戚のおじさん、おばさんたちは、テレビを見ながら、昨日の駅伝の話をしていた。ラーメンを食べ終わり、ここはおれの出世払いで、と私が言うと、親戚のおじさんが、「もっと出世してからで良い」と言った。私は、「これ以上の出世は見込めないから、今日、払うと言ったけれど、お金を受け取らなかった。今後も、私の出世払いは訪れないな、と思った。

 

ラーメンを食べた後は、昔、住んでいた町の整体師に体を診てもらったり、よく行っていた神社に詣でたり、ブックオフに行ったりしながら家路についた。そして、また、ばあちゃんが言っていた「うちに帰りたい」と言う言葉を反芻した。早く死んでしまいたいくらいのことを言っていた。私は、周りの人も、長生きしたくないと言っていたのを思い出した。体も自分の思うように動かなくなり、いろんなことが自分でできなくなっても、自分の望むような生活を送り、最期を迎えることができるようするためにはどうしたら良いか。親戚のおじさん、おばさんも長いこと自分たちの生活がある。ましてや、おじさん、おばさんも70代で、すぐにでも介護が必要な年齢だ。私は、AIの介護ロボットが一番、良いと思うけど、仮に実現しても、それは、自宅を買うくらいのお金だろう。実用的になるのは、もっと、もっと先。私ができることは限られている。私ができることは身近な大切にしているのために動くこと。家族もそうだし、友達も。だけど、ばあちゃんのために力になれることも限られている。主にばあちゃんをみているのは、一番、近くに住む親戚のおじさん。私が、ばあちゃんを家につれて帰ってこれるとしたら、年末年始だな、と思った。

何者かになりたいと思ったことがある人に読んでもらいたい1冊

私の自宅の本棚には野球コーナーがあるんだけど、ほとんど読んでいない。

 

やっぱり野球は観るのが楽しい。読むのは、新聞や雑誌くらいの文字量がちょうど良い。今年も、高校野球関連の雑誌を買って読んだ。おすすめの雑誌は、後日、気が向いたら書こうと思っている。

 

そんな私が、「スローカーブを、もう一球」を手に取ったのは、甲子園に向かう日。野球に関係する本を読みたい気分になった。

 

行きの飛行機で読んでいたら、機内に忘れていることに気づき、すこし凹んだ。帰りの空港で、スタッフの方に訊いてみたら、忘れていた本が見つかって、帰りの飛行機の中で、続きを読んだ。

 

スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

スローカーブを、もう一球 (角川文庫)

 

 

タイトルが、「スローカーブを、もう一球」なので、野球の話かと思いきや、野球だけではなかった。

 

ジャンルは、スポーツ・ノンフィクション。

 

全部で8編が掲載されている。野球の話は4つで、残りの4つは、一人乗りボートでオリンピックを目指す人の話や、ボクサーの話、スカッシュの選手の話、棒高跳びの選手の話。

 

1980年代の本で、ところどころに歴史を感じるんだけど、その人の人生に焦点を当てられているので、時代に関係なく、引き込まれる。

 

スカッシュ全日本選手権初代チャンピオンである坂本聖二さんの物語に、こんな一節がある。

 

ちなみに坂本さんは、車のセールスマンをしながら、スカッシュを続けた。

 

恐らく、彼の心の中には、誰もがそうであるように仕事だけでは埋められない空洞があるのだ。彼の場合、その空洞はスカッシュのボールの形をしている。1ヶ月に車を10台売った。なかなかの成績だ。20台売った。驚異的な数字だ。しかし、だからといってどうしたというのだろう。空洞は埋まらない。例えば結婚して、子供を作ったとしよう。それでも埋まるものではない。あるいは、そんなことで埋められない何かがあるのだと自ら信じ込むほどに、彼はエゴイスティックである。(「スローカーブをもう一球」山際淳司

 

仕事では埋まらないのか・・・。私は、仕事で埋めようとしていたかもしれない。

 

坂本さんだけではなく、この本に登場する人物達は、何者かになろうとした。そんな私も、20代の頃は、そんな意識が強かった。

 

最近、大切にしているのは、日々の営みの中にある、ご飯がおいしいだとか、天気が良くて気持ちいいだとか、誰かと会って嬉しいだとか、そんなたわいもないことを積み重ねて行く方が、自己実現よりも大切なのかもしれないと思っている。それは、女子学生、渡辺京二に会いに行くを読んでから。

 

 

ただ、一方で、何歳になっても、夢を持つことは大切だとも思っている。叶うか叶わないかは関係ない。叶えようとしている過程で、すでにその人の生活は活き活きとするから。

 

ぼくは目標を失って、自分の身の置きどころを失ったように不安でした。哀しくて、むなしくて、どうにもならなかった・・・(「スローカーブをもう一球」山際淳司

 

スローカーブを、もう一球のこの一節を読みながら、先日、Number Webで読んだ清原和博さんのことが書かれている記事を思い出した。

 

関連記事:「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。 - 高校野球 - Number Web - ナンバー

 

清原さんが自分で望んで、100回目の夏の決勝を甲子園で観たという。

 

今もなお、苦しみの渦中にいる清原さんが、甲子園から力をもらったと言い、帰る時には晴れ晴れした表情になったというところが素敵だなあと思って、次号のNumberも購入しようと思っている。

100回目の夏、クライマックス

4時台の始発だというのに、甲子園に向かう人々で、電車内は立っている人もいて、甲子園に着くと同時に、改札をダッシュで駆けて行く。

 

私は、前日、場所取りをしていたので、そんな人を横目に甲子園に気持ち早歩きで、その場所に向かった。すでに長蛇の列で、その長蛇の列を整理するために警備員もたくさんいた。

 

場所を取っているところに行って驚愕する。

 

私の場所は、人の多さから前に詰められていて、場所を取っている意味をなさない。初めて体験する前日からのチケットの購入。こんなふうになるんだ。

 

そうこうしていると、前日、場所取りをしている時に知り合った松田さんからメールが来た。

 

「おはようございます。今、無事に道路の後ろに並んでいます」

 

昨日、場所取りをしていたところよりも前に、松田さんはいた。昨日、場所取りをしている時に、松田さんから新聞をもらったり、私のガムテープを貸したり、野球談義に花を咲かせた40代後半くらいの男性だった。

 

そうこうしていると、電話が来て、「こっちにおいでよ」と言ってくれる。私は、松田さんのところに着くと、「昨日、徹夜したよ」と松田さんが言った。松田さんの隣には同じく、昨日の場所取りの時に近くにいた北海道から来たという50代後半くらいのおじさんが、にこにこしていた。

 

私は、昨日に続き、3人で野球談義をした。松田さんは10年くらい続けて甲子園に来ていて、北海道から来たというおじさんは、毎年、甲子園を楽しみに生活をしているという。どれだけ、野球を愛しているんだ。

 

「会場は6:10になります」とアナウンスが聴こえた。

 

おじさんたちと野球談義をしていると、私の前で「横入りするなよ」と怒声が聞こえた。

 

私と同じように、前日、場所取りをして、6時くらいにホテルから戻って来たおじさんなのだろう。そのおじさんはすごい困惑した顔で、チケット売り場のまわりをうろうろしていた。

 

私と同じく場所取りが初めてだったのだろうか。私と同じく遠くから来たのだろうか。そんなことを考えていたら、私の場所に入れてやろうかとか、チケットを買って渡してやろうとか、頭をよぎったけど、行動に起こせなくて、情けない気持ちのまま球場に入って行った。

 

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準決勝第一試合の金足農×日大三の試合までの4時間ある。持参した月と六ペンスを読んだり、甲子園カレーを食べて待った。

 

松田さんは、日傘があるスタンドの上の方に、北海道から来たというおじさんは、仲間たちと、中段あたり座り、貧乏性の私は、中央特別席近くの一塁側のベンチ10列目あたり。できるかぎり前で観たいと思ったけど、あとで、アルプス席近くの上の方も良かったかなと思った。

 

スタンドは、ほぼ満員だけど、少しだけ空席も見られたから、怒声を浴びせられたおじさんも入ることができたかな、と思い出しながら準決勝を観た。

 

いうまでもなく、第一試合、第二試合ともすばらしい試合で、やっぱり甲子園は素晴らしい場所だな、と思った。

 

松田さんたちは、決勝を観戦するために、また場所取りをするという。

 

北海道に帰って来た私のところに、松田さんから、こちらこそ、お世話になりました。今日は今日で、並んでるメンバーと飲みに行く、とメールが来た。

 

 

 

今年の夏も終わる。