どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

ホセ・ムヒカ/佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉』双葉社/なぜ南米に惹かれるのか?

kindle unlimitedで、本を探していたら、読みたかった佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉』があった。

 

ホセ・ムヒカのことは、一時期、本屋さんでもよく見かけたので、知っている人も多いと思うが、ウルグアイの元大統領であり、政治家である。2012年ブラジルのリオ・デジャネイロで開催された国連会議でのスピーチが世界中の人々を感動させて一躍、時の人となった。大統領らしからぬ質素な暮らしぶりも注目され、世界でもっとも貧しい大統領と呼ばれるようになった。元ゲリラ戦士が大統領になるのは、ラテンアメリカでは、キューバラウル・カストロニカラグアのダニエル・オルテガに続き、ムヒカで3人目である。

 

そのホセ・ムヒカの言葉が散りばめられていると共に、ホセ・ムヒカの実績が書かれているのが、本著である。

 

私は、その中でも、自由について語っている言葉が良いな、と思った。

 

質素は自由のための戦いです。

物であふれることが自由なのではなく、時間であふれれることこそ自由なのです。

自分の人生の時間を、好きなことに使っているときが、本当に自由なときなのです。自分と家族の物質的な欲求を満たすために働く時間は自由ではないのです。

仕事が好きかどうかは別問題。その働いていない時間のことこそ自由を指す。

自由になるための戦いというのは、どれくらい自由な時間を確保できるかにかかっているのだ、と私は言いたいのです。物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ、自由なのです。佐藤美由紀『世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉』

 

素敵だなあ、この言葉。本を読みながら、南米に旅行に行きたいと言っていた友達のことを思い出した。元気にしているのが目に浮かぶけど、元気で過ごしているだろうか?

 

 

池上彰『池上彰特別授業君たちはどう生きるか』NHK出版/歴史の学び方だったり、本の読み方を学べた。

仕事の合間に、ちょっとしたことが、大きな評価の差になるんだなあ、と頭に浮かんだ。ちょっとしたことというのは、気遣いだったり、心遣いだったり、人のために動くということ。

 

私が就職してすぐの頃は、自分のことをまず考えていたというか、自分が楽することを考えていて、それを当時、つきあっていた彼女に指摘されて、目から鱗が落ちたというか、恥ずべきことだと気づき、現在に至る。今も意識しないと、ついつい自分のことを優先して考えてしまう。本当、あの時、言いづらいことを言ってくれてありがとう、とあれからも何度となく思っている。

 

kindle unlimitedで読みたい本がないかなあ、と探していたら、読みたかった『別冊NHK100分de名著 読書の学校 池上彰特別授業『君たちはどう生きるか』があったので読んだ。

 

この作品は、太平洋戦争が始まる前に書かれた本で、全然、時代を感じないというか、時代を超えて通ずる話なんだけど、池上彰は、この作品が書かれた時代背景を考えながら、読んでいる。前にも 、どこかで、同じようなことを言っていた人がいたなあ、とブログを調べると、あった。

 

そしてもう一つは、その作品が書かれた時代背景や作者についての解説を読むことである。・・・時代背景まで理解して作品と向かい合うことで、その時代と現代の二つの視点から重層的にものごとを考えることができるようになるのである。山田玲司『非属の才能』

周りに合わせるのが、疲れた人に読んでもらいたい1冊 - 北の凡

 

 池上彰は、歴史の学び方についても語っていて、覚えておきたいな、と思った。

 

歴史を知識として学ぶだけでなく、それをもとに自分なりの仮説を立てて考えてみることを習慣にしてほしいと思います。仮説を立てたら、その仮説で歴史上のさまざまな出来事を説明することができるかどうか、改めて点検してみる。説明できないようであれば、仮説が間違っているということですから、修正していかなければなりません。・・仮説の精度を上げていくには、自分とは異なる角度から考えた人の意見を聞くこと、異論をきちんと受けとめることも大事です。・・・それは、これから私たちはどうあるべきか、どの方向に、どう歩んでいくべきかということを考える土台となります。『別冊NHK100分de名著 読書の学校 池上彰特別授業『君たちはどう生きるか』 

 

本を読むということについても語っている。

 

本を読んだあと、自分で考えてみる時間を取るということは、とても大事なことです。『別冊NHK100分de名著 読書の学校 池上彰特別授業『君たちはどう生きるか

 

どうだろう。読んだ後というか、読みながらも考えているのかもしれない。

伊野尾書店の一万円選書

本好きには、良い時代になった、と車のハンドルを握りながら思った。

 

なぜなら、好きな本屋さんが、おすすめの本を教えてくれる時代になったから。

 

昔から、おすすめの本を教えてくれる本屋もあったのかもしれないが、私は出会ったことがない。だけど、今は、ネットを介して出会うことができる。

 

1万円選書というサービスをネットで知った人も多いのではないだろうか。1万円選書というと、北海道のいわた書店が始めたというのは、本好きには有名な話で、私も、いわた書店の1万円選書を、3年前に応募して、当選し、選書していただいた。

 

そのいわた書店に1万円選書をやって良いかの許可をとって始めたのが伊野尾書店で、あの伊野尾書店が始めたのなら、ぜひ、お願いしたいと、メールをしたのが、8月20日のことだった。

 

それから、いくつかのメールのやりとりをして、とうとう本が決まり、これから郵送してもらう。

 

inoo.cocolog-nifty.com

 

伊野尾書店は、東京にある本屋で、直接、書店に行ったことはない。

 

では、なぜ、伊野尾書店を知ったかというと、ツイッターだったと思う。ネットだ。

 

「出版社の人が選んだ。あまり売れていないけど面白い本」フェアというのをやっていて、どんな本があるのだろう、と気になって、メールで買わせて欲しいとお願いをしたら、快く対応していただき、それから、伊野尾書店がおすすめする本をチェックするようになった。

 

伊野尾書店がおすすめする本のいくつかを読んだらおもしろくて、伊野尾書店が選んでくれる1万円選書も間違いないだろう、ということで、早速、お願いをした。

 

選んでもらったのは9点11冊。その中の2冊は、どこか縁を感じる本だった。

 

1冊は、昨年、fuzkueで、一度、出会い、読み終わっている本だった。読んだことがあるけど、何か縁を感じたので、そばに置きたくなった。その本は、ヘンリー・スコット・ホランド『さよならのあとで』。

 

さよならのあとで

さよならのあとで

 

 

もう1冊は、宮本輝錦繍』。

錦繍(きんしゅう) (新潮文庫)

錦繍(きんしゅう) (新潮文庫)

 

本棚にあったような気がして探したんだけど、なかった。もしかしたら、今回の引越しの際に、売った可能性が高い。どんな内容かも全く思い出せないので、かなり前に読んだのだろう。内容を思い出せないのであれば、読んでいない可能性もあるけれど、ついこの前まで、本棚には、あった気はする。そんなことを、ぐるぐる考えて、外してもらおうかを迷ったけど、仮に本棚にこの前まであって、売ってしまったのなら、本棚に置いておきなさいと言われているようで、この本も縁がある本なのではないか、であれば外すべきではないのではないか、ということになった。読んだら、読んだ記憶を思い出すのだろうか。どちらにせよ、読むべき時期なのだろう。

 

そんな不思議な出会いの本2冊。あと7点は、新たな出会い。

 

 

北海道はめっきり寒くなり、夜はジャケットを着ないと、耐えられなくなってきた。

劉慈欣『三体』はSF史に残る作品になるのか!?

Netflixでは、『THE100』や『ストレンジャーシングス』なんかのSFが好きで、SFは好きなジャンルだと思うんだけど、本となると、SFを全くといっていいほど、読んでいない。

 

ツイッターで、劉慈欣『三体』について呟いている人がいて、SF史に残る作品とか、オリンピック開催より、続編が出るのが楽しみだとかなんとか評しているのを読みながら、読みたくなって、増税前だし、欲しい本は、今のうちに買っておこうということで、買った。

 

SFを読むことがほぼ初めてなのと、中国人作家の本を読むのもこれが初めてだ。まだ80ページしか読んでいないけど、おもしろい。私は、外国人作家の本も読みたいと思っているけど、どうも、作品の世界に入り込めないことが多い。だけど、『三体』は、割とすんなり入り込めた。これから読み進めると、また印象が変わるのだろうか。

 

物語を追っていると、時々、引っかかる言葉というか、文章に出会うことがある。それは、「良いな、この言葉」ということもあるし、「ん?あとで、戻って、もう一度、考えてみたい」と思う文章だったりする。

 

自分がノーマルだと思っている行為や、正義だと思っている仕組みの中にも、邪悪なものが存在するのだろうか?・・・人類の全ての行為は悪であり、悪こそが人類の本質であって、悪だと気づく部分が人によって違うだけなのではないか。人類が自ら道徳に目覚めることはありえない。・・・もし人類が道徳に目覚めるとしたら、それは、人類以外の力を借りる必要がある。劉慈欣『三体』p29

 

たぶん、これから先に、このことが意味することがわかるのだろう。

 

増税前という言葉に踊らされて、不必要なものを買わないようにしようと思う一方で、本は、ここ最近で、一番、多く買った月になった。

 

これから続々、自宅に届く。

 

 

猫を大学病院に連れていった。

朝6時すぎに猫が、ご飯をちょうだいと鳴いた。ただ、今日は、大学病院に受診に行く日であり、朝食は絶食と言われていたので、ご飯をあげることができない。猫は、そんなことはわからないので、何で、今日は、ご飯をくれないの?と不思議な顔をしていた。ご飯をあげたくなったけど、私も我慢した。

 

診察開始である9時に合わせて、自宅を出て、大学病院の駐車場についた。いつも通っている動物病院の検査では疾患名を確定することが難しいということで、大学病院での診察を希望した。疾患名を確定してから、どのような治療があるかを知り、選択しようと思った。ただ、大学病院での診察日になると、怖くなった。いつも通っている動物病院で腫瘍の可能性もある、と言われていたから。

 

受付を済ませ、10番の診察室に呼ばれると、研修医だという20代前半の女性が、今日の説明をした。学生から聞き取りをさせていただいてよろしいでしょうか、と研修医が言った。男子学生の1人が近くにきて、猫の最近の様子について質問をした。壁側には、他に5人ほどの学生が立っていた。質問を全て答え終え、研修医が、それでは、2時間から3時間お時間をいただきますと言い、猫を診察に置いて、診察室を出た。病院の出入り口付近に、飼い主の膝に乗った黒い犬が座っていて、愛嬌があってかわいいなと、犬と飼い主に微笑んだ。帰ってきて、ネットで調べると、パグという種類の犬だった。

 

猫は、何がなんだかわからないだろう。知らない場所に連れてこられて、知らない人に囲まれて、押さえつけられて、嫌だろうな、不安だろうな、と私も胸を締め付けられる思いをしながら、私はどうすることもできず、一旦、病院を後にした。

 

近くの喫茶店に行って、コーヒーを飲みながら本を読み、昼には、大学構内のレストランで、全く、接点がない分野の学生たちに囲まれて、多くの外国人に囲まれて、とんこつラーメンと牛トロ丼を食べて、再度、大学病院の駐車場に着いた。まもなく、電話が鳴って、病院の待合室の椅子に座った。

 

テレビでは、ワイドショーが流れ、安倍改造内閣について放送されていた。小泉進次郎環境大臣に任命された。

 

名前が呼ばれた診察室12番で、ドアを開けると、30代前半の男性が低姿勢で挨拶をした。本日の担当医だった。キャリーケースに入っている猫を見ると、疲れているというか、悲しい目をしていた。

 

担当医は、診察結果の数値と、画像、ホワイトボードに、今回の症状を書きながら説明していった。腫瘍だと思っていたのが、腫瘍ではなく、結石があるということだった。

 

結石があるから病気には病気だけど、腫瘍という最悪の結果ではなかったから、良かった、良かった、と何度なく、つぶやいて帰ってきた。

 

値切るのが苦手だ。

値切るのが苦手だ。

 

と思っていたけど、相見積もりを取れば、私でも値切ることができると思った。職場では必ず相見積もりを取らなければならず、そのような習慣がなかった私は、めんどくさいなあ、と思っていたけど、実際、やってみると、確かに相見積もりを取った方が安くなる。

 

今回、私は、自家用車の夏タイヤと冬タイヤの両方を買わなければならず、どうせ買うなら増税前だな、と思って、2社から見積もりを取った。

 

私が取った行動は、1社目に見積もりをお願いして、2社目に見積もりをお願いして、また1社目に戻って、2社目では、ここまで下げると言っていると言って、さらに下げてもらって、購入を決めた。手間をかけているだけで、値切っている感覚すらなく、結果、数万円も、料金が変わった。

 

自宅のアパートに戻ってきて、ゴロゴロと本を読んだり、ブログを書き、さあ、寝ようかな、と寝室に向かったら、猫が寝室前に座っていた。

 

寝室のドアを開けると、猫も入ってきて、私の布団の上にごろんとなり、撫でられる態勢になる。私が少し撫でていると、目を瞑りだして、猫が寝ているところは、私の布団のちょうどど真ん中で、こうなると、私が眠れないな、とも思ったけど、こうして、私の布団に来ることは、そうそうあることでもないので、私は、布団からはみ出た状態で眠ることにした。

 

電気を消したら、まもなく、猫は、寝室から出て行った。

 

ああ、と思いながら、私は寝る姿勢を整えた。

SUNLIGHT GALLERYとGALLERY N7

辻山良雄『ことばの生まれる景色』に永井宏さんの本が紹介されていて、永井宏さんのことを調べていたら、SUNLIGHT GALLERYというギャラリーをしていたことを知った。

 

SUNLIGHT GALLERYは、私が新潟に住んでいる時に出会った『GALLERY N7』を思い出させた。SUNLIGHT GALLERYとGALLERY N7は、時代も、場所も違えど、もしかしたら似ているのではないか、と思った。

 

それで手に取った本が、永井宏『A BOOK OF SUNLIGHIT GALLERY』だった。

 

A BOOK OF SUNLIGHT GALLERY

A BOOK OF SUNLIGHT GALLERY

 

 

帯にはこう書かれている。

 

誰にでも表現はできる。ぼくたちの暮らしそのものが、ひとつの表現になるんだ。湘南・葉山にあった小さな場所、サンライト・ギャラリーで永井宏さんがはじめた、ささやかな実験の記録。

 

永井宏さんは、個展を開きたいと希望があった人を、それまでのキャリアや作品を見ることなく、その人の持っている雰囲気というか、考えていることや、服のセンスとか興味の対象とかを知ることで、個展を開いてもらうかどうかを決めた、と著書には書いてあった。

 

GALLEY N7のオーナーである阿部康太さんに、個展を開きたいと希望があったら、どのように判断していたかを聞いたことはないが、希望者にお断りをしたと言っていたことがあるので、やはり基準はあると思うが、永井宏さんと同じく、キャリアは関係なかったように思う。キャリアというか、それまで、芸術を学んでいない者にも、個展をする機会を与えてくれた。

 

私がそうだった。当時、私は写真詩のポストカードを作っていて、個展を2回開催させてもらった。今は、ポストカードは作っていないが、ポストカードから小説に表現手段を代え、今も、表現することを続けている。

 

私のように、永井宏さんとSUNLIGHT GALLERYに出会ったことにより、表現をずっと続けている人はいるのではないだろうか。

 

帯には、こうも書いてあった。

 

僕は昔、神奈川県三浦半島にある葉山という小さな町でSUNLIGHT GALLERYという場所を開いていました。ギャラリーではなく場所と書いたのは、そこは作品を展示するだけの空間ではなく、結果的に、いろいろな人がそこで出会い、挨拶だけでなく、それぞれに言葉を交わしていくところになってもいったからです。・・・

 

GALLEY N7も同じだった。作品を発表する場であり、表現する者と表現する者が刺激し合う場であり、表現する者と観る者が出会う場であった。あの時、出会った人とはほとんど今はやりとりがないけれど、SNSで、音楽をやっていたり、絵を描いているのを知ったりすると、おっ、やってるな、と嬉しくなったりする。

 

もうかれこれ新潟に何年いっていないのだろう。良い加減、行きたい気持ちが溢れているから、たぶん、近々、行くと思う。

 

 

関連記事はたくさんあるけど、これかなあ。

 

rakuunanzyuku.hatenablog.com