どんまい

いろいろあるけれど、それでいい

天才とは、こういう人のことを言うのかもしれない。

ツチダタカユキ『笑いのカイブツ』を読み終わった。

笑いのカイブツ

笑いのカイブツ

 

読み終わった後、ツチダタカユキは生きているのだろうか、生きていて欲しいな、と思いながらネットで調べた。今、何をしているのだろうか。

 

ツチダタカユキのことを考えていると、天才って、こういう人のことをいうのかもしれないと思った。何が天才かというと、ひとつのものごとに打ち込めることが天才。努力の次元を超越している。食べるように、排泄するように、当たり前のように、ひとつのことをただひたすらに打ち込む。こんな人が歴史に名を刻んできたのではないだろうか。

 

本書の中で、人間関係を構築できないと成功できない、みたいなことをツチダタカユキが人に言われる場面があるんだけど、私は、それが天才なんだから、仕方がないだろ、と思った。

 

人間離れしたようにひとつのものごとに打ち込めるかわりに、人間関係を構築するのが苦手というのがセットになっているのではないかと。

 

人間関係を構築できたら、最初からしてるわって話で、そんなもん、ツチダタカユキ自身が一番、悩み、なんとかしようと思ったと思う。だけど、できなかった。だから、一緒にやる側が、そこを理解して、手を組めば、天才は開花する。 

 

たぶん、ツチダタカヤユキのようなタイプの天才は、人口の1%くらいいて、この本を手にとった1%の生きづらさを抱えている者たちは、確実に救われると思う。

 

GW3日目。毎日のように働いている。明日から3日間休みだけど、予定は何もない。

売れてないとか、評価されてないとかは関係ない。

今週のはじめに引っ越しをして、荷ほどきの作業をひたすらしている。ネットも開通していないので、テザリングで更新。

 

蔵書がダンボール50箱になって、引っ越しの作業員に申し訳ないなあ、と思いながら眺めていた。5人で作業してくれたのがせめてもの救い。2人できていたら、どこか故障していただろう。今日は、あと何軒あるんですか?と訊いたら、あと2軒あるといっていた。私の引っ越しが13時開始だったので、午前中から働いているとすると、4軒の引っ越しをしているのか、私にはとても無理だ。この荷ほどきの作業だけでも、疲労の蓄積が甚だしく、腰が痛い。

 

これまで、蔵書を売って失敗したと思うことがあったので、ここ何年かは、売ってこなかったけれど、新居の本棚を眺めながら、売ろうかな、と思い直した。

 

今、ツチヤタカユキ『笑いのカイブツ』を読んでいるけんだど、これはやばいなあ、と読むのが止まらない。

 

イチロー引退試合及び引退会見を見ながら感じた感覚と似ている。

 

なぜ、ここまで徹底的にひとつのことを追求することができるのか?

 

おれは徹底的に何かをやったか?と心の底から自分自身の声が語りかけてくる。

 

ツチヤタカユキは、笑いのネタを生み続けて生きる。

 

お笑いといっても、漫才師やコメディアンとかではなく、どちらかというと構成作家。なぜ、漫才師とかコメディアンにならなかったのかはわからない。

 

何がすごいかって、働いている時間がもったいないから働くのはお金がなくなった時で、おしゃれをする時間ももったいないから頭は坊主にし、煩わしい人間関係はシャットアウトする。お金がもったいないと、ひたすら、チラシの裏に、ボールペンでネタを書いていく。イオンのフードコートで。

 

どうだろう?イオンのフードコートで、一心不乱に、チラシの裏に文字を書いている人を見かけたら変な人だと思うだろうか?

 

思うかもしれない。フードコートで見かけたら、変な人がいると思うかもしれないのに、こうして本を読んでいたら、変な人だとは思わない。逆に、ひとつのことにここまで徹底できることに羨ましさすら感じるし、尊敬の念がわく。どうしてだろう?

 

煩わしい人間関係をシャットアウトして、友達と呼べる友達がいなかったけれど、一人だけ、理解者となる友達がいて、ツチヤタカユキが、お笑いの仕事が全然、来ず、自暴自棄になっている時にかけた言葉がいい。

 

「・・・俺が今までめちゃくちゃやって、生きてたんはな、退屈やったからやねん。ホンマに何もかも退屈すぎてな、ギャンブルしたり、女に走ったり、街でケンカしたり、めちゃくちゃしてまうねん。家におったら息がつまりそうなるし、テレビもおもんない。ええか?おまえはな、その退屈をたおしてんねん。お笑いをやることによって、その退屈を倒せてんねん。俺は今まで、退屈を倒すために、600万借金したり、刑務所入ったりしたけど、おまえには、お笑いがあるから、タダで退屈を倒せとんねん。売れてへんとか、評価されへんとかは、関係ないねん。ずっと10年くらい、それに没頭して、退屈を感じることなく、生きてきた時点で、俺からしたらうらやましいねん。俺には、おまえのお笑いみたいなんが、ないねん。いつも退屈を倒すために、ずっと、難波の街をうろつくしかないねん。だから、もうガタガタぬかすな。好きなこと、10年やった時点で、おまえは幸せな奴や」ツチヤタカユキ『笑いのカイブツ』p87

 

 

私もそう思う。

 

笑いのカイブツ

笑いのカイブツ

 

 

 

 

習慣依存というものはあるのだろうか?

何に、どれくらいお金を使っているか意識的になるために、1年に1度、1ヶ月間、レシートをとって確かめるという試みを、昨年からしていて、今年もやってみたんだけど、私のほとんどの買い物がコンビニだった。

 

アイスコーヒーは、毎日のように飲むし、仕事の合間でお腹が空いたら、ちょっとしたものをコンビニで買っていた。というか、買っている。現在進行形。ing。最近、その行為は習慣になっているのではないかと思うに至り、習慣依存だ、禁煙の時に、病院で聞いた習慣依存だ、と思ったんだけど、ネットで調べると、習慣依存なんてないという人もいて、どうなのかはわからないけど、コンビニで間食をするのは控えようと思っている。

 

これも習慣依存だろうかと思ったのだが、私は、常に本を持ち歩いているんだけど、引っ越しのため、ばしばしダンボールに詰めたため、今、読みたい本が手元になくて、何か、そわそわする。これがもし習慣依存でも何ら問題はない。

 

だからというか、手元に本を置いておきたくて、どこにでもある町の小さな本屋に入った。昔の本屋さんの匂いがした。私は、文庫本の棚を隅々まで見て、いつか読みたいと思っていた作家、上田岳弘のものがあったので買った。『私の恋人』という本。まだ、読み始めなので、おもしろいかどうかはわからない。

 

仕事を終え、自宅に帰ってきたら、鞄の中に入れていた水筒の蓋が微妙に閉まっておらず、買った本が波打っていて、悲しい気持ちになった。

その人が、どんなふうに生きてきたかを知ることの重要性

新人研修について検討している時に、一人の職員が、「利用者の生活史について学ぶっていうのはどうですか?」と言った。

 

その意見を訊きながら、やるなあ、と思った。利用者の生きてきた歴史を知ることが重要だと思う機会は、ここ何年か、何度かあったのに、この場では、まったく思いつかなかった。

 

そんなことがあった夜、私は、六車由実『驚きの介護民俗学』を読んで、今、読むにはぴったりの本だな、と思った。

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

 

介護民俗学が、 利用者の生きた歴史を聞くというものだった。

 

民俗学者の六車さんは、大学をやめ、老人ホームで働く。民俗学社会福祉学。まったく関係ないようなものを組み合わせると、こんな魅力的なものになるんだ、と読んだ。

 

読みながら、職員との対話と共感も大事だけど、そもそも利用者との会話を大切にしてきただろうか、と自問自答した。

 

問題行動だと思うことも、利用者の生活史を知ることで、全く見えかたが変わるんだと、その重要性を知った。

 

この本は、かれこれ3年前に、薦めてくれた人がいて、すぐに買ったんだけど、数ページ読んで、読むのをやめ、本棚に置いておいた本だった。

 

シリーズケアをひらくの一冊で、この前読んだ東畑開人『居るのはつらいよ』を読んでいる時に、次は、読まないままだった六車由実『驚きの介護民俗学』を読もうと思って、開いて、読むのは、ちょうど今だったんだな、と思った。

 

驚きの介護民俗学は、看護師のためのウェブマガジン『かんかん!』に連載されていたものらしいということを、本の後半で知り、そういえば、5年前に、この『かんかん』を薦めてくれた人を思い出し、いろいろ繋がってくるなあ、と不思議な感覚になった。当時、『かんかん!』を、パラパラと見ただけで読んでいなかったので、改めて読んでみようかと思った。

 

www.igs-kankan.com

 

そういえば、過去を聞かれるのを嫌う人にも出会ったことがある。

 

あと、魅力的だと思う人を観察していると、過去の話をする人ではなく、今の話をしている人かな、とか考えたこともあったんだけど、

 

今回、改て、その人が、どんなふうに生きてきたかを知ることの大切さを知った。

赤いコンバース

雪も溶けてきたので、新品の赤いコンバースに紐を通した。紐を通しながら、子どもの頃を思い出した。新しい靴を買ってもらうと、外に出る前に、自宅の中で履いて歩き、そのまま外に出たっけ。三十数年ぶりに、同じことをして、今日、一日を始めた。

Number976号は、「完全保存版」というだけあって、読み応えがある。

藤原新也『ロッキー・クルーズ』を読み終わった。フィクションのような自伝的小説。また、いつか読み直してみたい。

ロッキー・クルーズ (「藤原新也の現在」シリーズ)

ロッキー・クルーズ (「藤原新也の現在」シリーズ)

 

 

Number976号が自宅に届いた。

イチローが引退してからシアトルで、妻の弓子さんと2人でマリナーズの試合を観に行き、その時スタンドで初めて2人並んでホットドッグを食べた時に、弓子さんが「球場でこんな風にホットドッグを食べるのが夢だった」と言われる話がめちゃまちゃいい話と、ツイッターでつぶやいている人がいて、確かに、良いなあ、と思いながら読んだんだけど、そのあとに、続く、弓子さんが握ったおにぎりの具のは何だったのか、という話が笑った。私も読みながら、この情報いる?と思った。

 

イチローの記事を食い入るように読んでいる。さすば、完全保存版だけあって、読み応えがあり、まだ読み終わっていない。

 

ここまで私がイチローに惹かれるのは、たぶん、引退試合となる3月21日の4打席を観たからだと思っている。そんなに引退試合を観てきたわけではないけど、あのイチローの4打席は、本当に、心打たれるものがあった。

 

あの4打席目は、内野安打でしょ、と未だに思っていて、未だに、なんか悔しい気持ちが沸き起こっている。

 

イチローの最も印象に残っているヒットは、第2回WBC決勝、韓国戦の延長10回のセンター前ヒットなんだけど、印象に残っている試合と訊かれれば、引退した試合と答えると思う。それほど、あの試合は、印象深かった。

 

って、また野球のことを書くと長くなるので、このへんで。

 

縁の下の力持ち

通勤途中、仕事の移動中の合間に、amazonのaudibleで、本を聴く。 昨日に引き続き、サピエンス全史。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

なんか授業を聞いているようだな、と思いながら、真剣に聴くというよりも、聞き流しながら、聴く。聴きながら、思考が、ゆらりゆらりと浮遊する。

 

歴史を理解することで、未来の予測ができるだとか、認知革命なんて初めて聴いた、だとか、クロマニヨン人の時代からサピエンスの時代に取って代わったということは、サピエンスの時代も、取って代わられる可能性は高いわけで、あっ、『猿の惑星』とか、『THE100』とか、映画やドラマの題材として、人類が脅かされる設定って結構あるよな、と思い出した。

 

今日だけで、第2章、第3章を読み終わるというか、聴き終わる。聴き終わるけど、読んだ本の冊数には入れられないな、とも思う。

 

ただいま、無料中で、聴けば聴くほど、amazonポイントになるみたい。  

 

東畑開人『居るのはつらいよ』を読み終わる。後半部分に差し掛かると、どんどん本の世界に引き込まれる。なぜ職員は辞めていったのだろうか?その原因は書いていない。書いていないので、なんとなく想像する。これまで必要だと思っていたエビデンスや持続可能というキーワードが揺らぐ。

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
 

 

話が変わるけど、新入社員挨拶で、事務を担当する人が、私は縁の下の力持ちになりたいです、と言っていた人がいて、好感を持った。「私の仕事は、縁の下の力持ちです」と聞いたのは、これで2人目だった。縁の下の力持ちという言葉は、これまでも馴染みのある言葉だったけど、どういった内容か説明してくれと訊かれると、急に不安になるので、インターネットで調べた。

 

縁の下の力持ちとは、人の目につかないところで、他人のために支える苦労や努力をすること。また、そのような人、とある。

 

やっぱり好感を持てる。今のところ、その人とは言葉を交わしていないけど。